私の疾患啓発活動

研究会の会員が、疾患啓発活動を通じて感じたこと、患者さまやそのご家族とのエピソードをご紹介します。

私の疾患啓発活動


第三回

内資系製薬企業社員 Y・Iさん

私は疾患啓発の成功を決めるのは「アート」で、失敗を防ぐのは「サイエンス」なんだと思っています。

私が啓発を担当した尋常性痤瘡(ニキビ)のケースでは、患者さんの声に耳を傾けターゲットを変更し、メディアを絞り、クリエイティブを改善し続けたことが成果につながってきたように思うからです。

失敗を防ぐサイエンスの部分

「いつ」、「どこで」、「だれに」の話の時は、きちんとデータをとって、それを確認・分析し施策を修正する(CAPD)をなるべく早く、確実に行うことが重要だと思っています。
ざ瘡のときは最初は20-30代女性をターゲットに、美容関心層中心にバナー広告や屋外メディアで展開しました。→全然ダメでした。→統計のスペシャリストにデータ分析してもらったら、実は同じ広告でも20代より10代が反応していることが分かりました。→学生向けの活動に変更しました。→数字に変化がありました→その中でもさらに広告効果を確認しました→より効果のあるものだけに絞っていきました→反応が鈍るとさらに調査をして調べました→より深いインサイトが見つかりました→施策を修正しました→成果を確認しました→これの繰り返しです。コツコツやるしかないです。

成功を決めるアートの部分

「何を」「どのように」の部分。
これは目に見える部分なので、社内でもいろんな意見や議論が百出しやすいところです。 実はアートの部分は私がとっても苦手とする部分です。しかし、この部分は代理店に外注できる部分なので、我々のサイドでやるべきは外注クリエイターの人たちに”いかに気持ちよく、楽しく仕事してもらえるか”が要諦なのではと思っています。つまり、「いいですねーもっとよくするにはどんなアイデアがありますか?」が基本スタイル。やりがちですがデザインやコピーの出来不出来を咎めたり批判したりしないことも重要です(何十年もそれで食っている人への尊敬を忘れちゃだめな気がします)。異論を言うときには「いいのですが、我々の目標とする○○とずれているので」とか「こういうデータもあるのでこれを重視してください」という、目的やデータの部分を補足することで、クリエイターの才能を我々の目的に合わせていければと思っています。患者への配慮が不足しているなど明らかにリスクのある内容が提案されたときには、どこが悪いのか、リスクなのかを真っ直ぐにお伝えするようにしています。
もちろんクリエイターには製薬業界の疾患啓発表現に向いている人と向かない人がいるので、向かない人には早めに外れてもらう。という選択肢もちゃんと持っておくことは言うまでもないですが・・。

まとめると、我々はやるべきこと(サイエンスの部分)をきちんとやることで失敗を防ぎ、外注でやってもらうこと(アートの部分)については成果が出るように目的のすり合わせなどに集中する。ことが疾患啓発活動で成果を出すために必要な取り組みなのかなと思っています。

疾患啓発を実施することになり、何からすればいいかと不安に感じてこのサイトにたどり着いた業界の方もいらっしゃるかもしれませんが、何も難しいことや奇をてらうようなことをしているわけではありません。疾患啓発活動は、これからも皆で知識を持ち寄り、多くの患者さんが幸せになることに喜びを感じながら、やるべきことをやるのが一番なのだと思っています。

第二回

内資系製薬企業社員 Y・Tさん

DTC活動を行っていたら患者さんからレターを頂戴しました。そのレターは私の「宝」となっています。

  • DTCの原点は何か?
  • 何故、DTCを行うのか?
  • DTCの大義とは何か?

この1枚の「宝」に集約できると思いますので皆さんと共有します。判断に迷ったら是非、読み返してみてください。
進むべき道がきっと見えるはずです。

30歳 女性会社員(営業職)からのレター

30歳の会社員で営業をやっています。生理痛は高校生の頃からあったのですが、特に20歳を超えてからひどくなってきました。朝起きるのもつらいし、貧血っぽいし、仕事中も集中力が落ちて、とにかくボーっとしてしまうことが多かったんです。生理1日目は特に痛みが強くて、会社を休んで寝込んでいることもありました。どうしても休めない会議や外出がある時は、立ち上がるのもつらい状態でしたが、市販の痛み止めを飲んで冷や汗を流しながら、なんとか出社していました。もう心の中では半泣きでしたけどね。でも、周りの子もみんな生理痛はあるって言っていたし、こういうものなんだから頑張るしかないんだって、思い込んでいたんです。

そんなある日の朝、出勤の電車の中でラクダちゃんの広告を見ました。「この生理痛大丈夫なんだろうか」「だれとも比べられないからツライって言いにくい」 そうそうその通り!全く同じ気持ち。「生理痛は病院で治療できます」 そうなんだ~と思い、スマホで「生理痛外来へようこそ」のWEBサイトを隈なく見てしまいました。セルフチェックシートで生理の状態を確認したら、月経困難症の可能性が高く、他の婦人科系の病気かもしれないので、婦人科の先生に相談することを勧められました。

お医者さんの紹介画面で会社近くの優しそうな婦人科の先生を見つけ、意を決して相談してみることにしました。結果、月経困難症であるばかりか子宮内膜症が見つかり、現在は治療薬で暫く様子を見ることになりました。治療薬を飲み始めてからは、生理を忘れるほど快適で会社を休むこともなくなり、生理中だからといって集中力がとぎれることもありませんし、仕事への支障もなくなって『人生変わったな!』と実感しています。手遅れにならず子宮内膜症が見つかったので先生と相談しながら、治療していこうと思っています。

もっと早く婦人科の先生に相談していれば良かったと思います。
ラクダちゃんには感謝の一言です。私の人生を変えてくれて本当に有難うございました。

第一回

内資系製薬企業社員 N・Fさん

前職の某外資系製薬企業で営業に携わっていた約30年前の話です。
当時、DPB(びまん性汎細気管支炎)という、発症してからの5年生存率がおよそ50パーセント前後と極めて予後の悪い難治性呼吸器疾患がありました。
症状としては、大量の痰、持続する咳、息切れ、呼吸困難などであり、ときに300ミリリットルもの痰が一日で排泄されることもある重篤な疾患で、その頃はまだ効果的な治療法がなく、多くの患者さんが苦しんでおられました。

そして、1980年後半に工藤らにより「マクロライド少量長期療法」が発見され、その後1990年代には画期的な治療法として確立し、不治の病と言われていたDPBが完治できる疾患となりました。
そんなあるとき、工藤先生からある患者さんを紹介され、「私は長い間DPBに苦しんできましたが、先生とおたくの薬のお蔭で良くなり、この前富士山にも登れるまで元気になりました。本当に有難う。」と言っていただき、この研究のサポートに携わってきた製薬企業の一員として非常に感動したことを今でも忘れられません。

自分自身は直接医療行為には関われませんが、苦しんでいる患者さんのため薬を通して少しでもお役に立てれば、これほどの喜びはありません。
30年前とは違って、今では製薬企業が患者さんに向けて正しい疾患啓発活動ができるようになりました。これからはあのときの感動を忘れず、患者さんにより役立つ正しい情報を伝えていけるように日々取り組んでいきたいと思っています。